社長の想い

社長の想い(17回目)

社長の想い(17回目)

社長の想いは17回目になりました。
 山形の冬は寒く積雪も多かったですが、漸く春が来て梅・コブシ・水仙・椿・木蓮・芝桜の花が開きました。例年より早く4月中に桜が満開になっています。  
昨年私は山形大学医学部病院に入院しましたが、気候が良くなり、気温が上がって体調は良くなって来ています。
4月2日に本社で2名の入社式を行い、新人社員へのご挨拶を載せます。
「本日、ここに中村さんと浅野さんが入社することになりました。トーホーは前期まで5期連続で増益増収を続けており、今期(平成29年5月~平成30年4月)の売上は減りますが、増収は6期連続になる予定です。入社して貰ったお二人は、将来、我が社を支えていく人材と思っています。中村さんは若々しいバイタリティーに期待します。貴女は学窓を巣立たれたばかりですが、社会人としてスタートした今日から企業人としての自覚を強く持ってください。入社した技術者は我が社の資格制度を受けて技術力を上げて貰いたいのです。我が社が他社に負けないために、肝に銘じておいてください。浅野さんは他社のカメラ監視部門から我が社に入社されました。トーホーは中小企業ですが、有る程度の技術力を持っているので、来期は新事業を行います。浅野さんが入って業績を伸ばす事を期待しております。
 私が行って来た事をトーホーの理念(社長の想い16回目も述べています。)
1、 Happiness(社員を幸せにする事)
2、 Useful(社会に役立つ事)
3、 Trust(顧客から信頼される事)
4、 Benefit(会社を継続するため利益を出す事)
お二人の入社によって当社の理念にそった環境事業の業績が更に伸ばす事を祈念しています。」

トーホーの沿革(平成18年5月~平成23年まで)
 当時の事業の主力は地下水活用事業になっており、平成18年の地下水活用システムの導入は67件に成りました。メンテナンス業は未だ赤字でしたが、80件を越えたならこの事業は黒字になり成功すると自覚しました。会社を立て直すには地下水活用事業部を1本に考えて、今迄トーホーを支えてくれた産機事業部を譲渡する事に決めました。(平成19年2月に株主会社トーホーテクノを設立して、三重工場(産機事業部:社員も一緒に)を譲渡しました。五十嵐会長が開発したミルブレーカーⅡ(ボールミル・特許登録)で、㈱トーホーテクノは設立後も全て黒字に成っています:この事は社長の思い5回目に述べていました。)
平成20年4月に導入実績は80件と成り、メンテナンス・レンタル事業は赤字から黒字体制に転換しました。その後更に当社の技術力をアップするため資格取得制度(平成22年5月に1号の合格・表彰者が始まり、毎年増やして現在資格者は21名・資格証明書49件になっています。)を導入し、メンテナンスの効率を上げるために遠隔監視システムの改善を進めました。導入件数が増えると確実に黒字が伸びる様に成っています。今迄社員は32名位で地下水活用事業の一本で地道に行っていましたが、トーホーは新しいトライを始めました。平成23年3月に一般建設業許可(国土交通大臣許可、いま特定建設業許可を申請するところです。)がおり、5月に札幌営業所開設(駐在改め)しました。北海道のメンテナンスをお願いした株式会社テー・イー・エスの株式の譲渡契約を交わして関連会社にしました。
 平成23年3月11日に東日本大震災が起きました。私は大阪から新幹線で東京へ行き、新宿で大震災に会いました。JR駅が閉鎖されて、喫茶店でパソコンと携帯電話の連絡が取れず、携帯電話のショートメールだけ連絡が出来ました。東北責任者の岡田部長が秋田におり、山形へ戻り震災地のメンテナンスユーザンの対応をお願いしました。東京支店の社員で自宅に帰られない方は事務所に泊まりました。私は阿佐ヶ谷のアパートに歩いて帰り、数日アパートでパソコンと携帯電話で連絡を取り合いました。その後東京支店で仕事を遣って、山形本社へ帰ったのは3月末でした。福島の原子力発電所が津波にあって閉鎖されたため、夏季に関東・東北のデマンド制御が始まりました。その後お付き合いの流通会社からトーホーの省電力の再開を言われ、それがきっかけで今迄の一本事業から省電力事業の二本事業を行う事になります。

次の社長の想いの7月は決算概要とトーホー沿革(平成24年~)を述べます。


                                                          2018.4.24 横澤 裕一

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